活字競馬に挑んだ二人の男

活字競馬に挑んだ二人の男

結構前に出ていた本で、ずっと読もう読もうと思いながら買っていなかった。日曜日に中山競馬場のターフィーコーナーで見かけて、2,3ページ立ち読みして即買い。一気に読んでしまいました。

白井新平氏と三男透氏を中心にした日本競馬史の本です。

こないだは競馬と個人の間にある想いがどうのなんて書きましたが、それはそれ、競馬やそれに関わった人のことを客観的にまとめたものもやっぱり必要。

戦前競馬史から競馬法制定の苦労、競馬マスコミ史、中央競馬会、政治と競馬、海外競馬と日本競馬などなど。白井**という名前は拝見することがよくあったが、全くの知識不足でその辺の怪しげな血統評論家と大して区別できていなかった。彼が競馬文化にどのような貢献をしてきたのか、日本競馬史にどんなふうに関わってきたのか、全く知らなかった。恥ずかしい。無知は罪ですね。

今、ばんえい競馬はじめとした地方競馬の存廃や中央競馬の将来について議論がよくなされるけれど、こういう歴史をふまえて議論するべきものなんじゃないだろうか。

どうして日本の競馬は今の日本の競馬の姿をしているのか?競馬は何のために存在しているのか?また、何のために存在するべきなのか?過去の人間たちは、日本の競馬をどうしたかったのか?

正直、安田翁の仕事の内容も、少しは知っていたけれど、どのような想いで競馬に関わっておられたのかは全く存じ上げなかった。この本を読んで、また新しい見方ができるようになったと思う。

これからの競馬がよくあってほしいと思う人で、過去の日本競馬をよく知らない自分のような人には、必読書ではないかと思う。この本の内容をそのまますべて鵜呑みにして議論しようと言うのではなくて、過去について知りたいという意志や、姿勢があって初めて未来のことを考えられるのではないかという気がした。

以下、自分が印象に残った部分をいくつか引用します。競馬に対して何か意見のある人であれば、おもしろく読める本であり、参考になる歴史書だと思うから、是非一読をお勧めします。

競馬人の財産を日本競馬会という形で奪い、その後も国営として独占し続ける農林官僚を真っ向から批判していた。本来ならば戦前の軍部によってつくられた日本競馬界を解体し、競馬の開催権と財産を各地の競馬人に返さなければならない、というのが新平の意見だった。

P103(長森裁判について昼夜通信で連載された白井新平の主張)

なるほどこれが英国の競馬なのだ。これはサラブレッドのための競馬であって観客のための競馬ではない。ここに英国競馬の良さも欠点も、その本質もある。
競馬はキングのスポーツ、そして貴族、富豪のスポーツであって一般市民のスポーツではないのが、英国の競馬である。

P115(1953年イギリスダービーを観戦した白井新平のレポート)

まず、我々が行っている日本の競馬が、少なくとも世界の競馬のなかで、特殊な競馬ではなく、言うなれば「欧米の競馬と同じ次元」で競馬をやっていたと言うことが証明されたことに、私は満足している。もし、外国馬が自分たちの実力も出し切れないような結果に終わったならば、「東洋の片隅でやっている日本の競馬は、特殊な競馬だ。外国馬が行っても実力が発揮出来るような条件ではないよ」ということで、日本の競馬は永遠に、競馬の世界地図に載らなくなってしまう。

P265 (スポーツニッポンに掲載された第一回ジャパンカップの結果を受けた白井透のコラム)

だが古い競馬人なら誰れもが、安田さんの「競馬には政治を介入させない」と牢固したその信念だけは熟知しており、これは皆が賛成だった。

P288 (白井新平が晩年に著した「官僚!中央競馬はこれでよいのか――アナーキストの競馬人生五十年」より引用)