ものを考える拠り所を学ぶ

昨日は物置を強制的に大掃除。ファンファーレが鳴るたびにテレビの前に移動して怒られては、物置に積み上がった本の整理をいそいそと。

競馬本もホントにいっぱい家にあるんですよねえ。最近は競馬予想の本なんて全く買わなくなりましたが、昔は色々買いました。

僕はデータで一杯の競馬新聞を見て、それに感動して馬券に入り込んだタイプなので、出目とかタカモトには全く興味がなかったけれど、あのころは競馬を予想する根拠というものにもの凄く飢えていました。だから、スピード指数は僕にとって福音だったし、北野義則は革命だったし、ベイヤーの本(ウイニングホースプレイヤーとか競馬探求の先端モード)だって目から鱗でした。(ここ、それぞれの名詞にそれぞれ突っ込みがあるかも知れないけど、僕がそうだったと書きたいだけです。)

ものを考える拠り所を知ると言うことが、本当に楽しかったなあ。麻雀も競馬も、PCも全部そう。そういうことに興奮したなあと、そんで今もそうだなあと、積み上がった競馬本をみながら思ったです。