競馬とは、人と人との話でもあって。

人間いろんな人と関わりながらでなければ生きていけませんし、人とのつながりの中で得られたことをまた他の人へ表現していくことの繰り返しが生活の一つのプロセスなのではないかとも思います。

競馬場もまた一つのゴミ溜め社会で、その中にはいろんな人がいますし、さらにその人々のつながりというものも含めて競馬なのではないかとも考えます。競馬が好きな人であっても、いつも自分一人で競馬を予想し、競馬を見て、馬券の当たりはずれを繰り返すだけと言う人はなかなかいないでしょう。だいたいは人と競馬の予想について話をし、競馬を見て、話をし、レースの興奮やはずれの悔しさを共有することがあると思います。

私は競馬歴11年目ですが、やっぱりその時々でいろんな人と競馬を楽しんできていますし、その中でいろんなことを教わってきました。

高校時代(!?)から浪人時代にかけて、高校の先輩とほとんど毎週のように後楽園場外で会っていました。この方とは大学に入ってから会わなくなってしまったのですが(お元気でしょうか)一緒に馬券を買う中でいろんなことを教わりました。

今はほとんど自動発券機になってしまいましたが、当時の後楽園の穴場はまだ有人窓口が多く、おばちゃんとのやりとりで馬券を買っていました。高校生の自分に「ちゃんと勉強してる?」と聞くおばちゃんもいましたね。

でも、それに対して自分は、おばちゃんともほとんど無言でマークカードと馬券のやりとりをしていました。高校生で馬券を買っている自分に多少の後ろめたさを感じていたことや、今よりもっと世の中に対して突っ張っている部分もあります。

反対にその先輩は、馬券を買うときに必ず「どうもー」とか、「ありがとー」と声を出していて、これが当時の突っ張っていた自分にはとても印象的。なんか、いいなあと感じるものがあって、自分も穴場を含めコンビニのレジ等で一言挨拶するようにしました。

大したことではないのですが、少しだけ気持ちよくやれる様になったんじゃないかと思っています。「当たります様に」なんておばちゃんが応えてくれることもありますし、浦和のおばちゃんなんかはガラスの向こうから締め切りが近いことを教えてくれたりしましたよ。

あまり殺気だって競馬をやるのもどうかということで、ウインズにいるオヤジの相手をたまにしていたら、ポケットから札束を見せて「いい情報が入っちゃってさ」だって。コーチ屋とのつながりは人生に必要ないし、そこからいろんなことを教わる必要はありませんので。

#コーチ屋には2度話しかけられたことがあったのですが、それはどうも話しやすくてだましやすそうな雰囲気があったからなのでしょうかね。