そろそろポートレート廃止について一言いっとくか
一口馬主をやっていることで得られる一番得難い体験っていうのは何かというと、「オレの馬」感であったり、「オレ馬主」感であったりする。そして「オレの馬が勝った!」感。どう考えても賞金のために出資している訳じゃない。
昔、ダービーの直線で先頭に立った馬の担当厩務員が、外ラチからコースに入って「オレの馬が」と叫びながら併走したという話があったけれど、一口クラブの会員はそれと同じことを本気でやっている。東京競馬場のスタンドの上の方でみていると、クラブ馬が勝ったときにネクタイしめた男性が全力疾走していく姿が見えます。自分も「勝ったー!」と叫びながら疾走したことありますし。
自分にとって競馬場でスーツを着て応援して口取りしたり、牧場へ行って自分の出資馬について担当者に聞いてみたり、ポートレートで毎月出資馬の姿と状況の報告をもらったりというのは「オレの馬」感を感じる要素だった。
「オレは馬主」「オレの馬」「オレの馬が勝った」感を売っているのだとすれば、ポートレートの代替がWebサイトであって良いはずはなかった。コスト削減というのはわかるが、そのときサービスの質を下げないつもりだったのか、それともやむを得ずこういう決断になったのか、それとも、何がサービスなのかという認識が自分とクラブで違っているのか。少なくとも自分はサービスの質が下がったと思っているし、サービスの質を下げたという認識がクラブにあったとは感じていない。
ポートレート廃止、Webへの移行によって浮くコストを「オレの馬が勝った」感を体験させる方へ振り向けるということなのだろうけど、だからといって「オレの馬」感を放っておいて良いことにはならない。それでたまたま勝たない馬を買った人には何のサービスも提供できていないことになるよ。
あと、ラフィアン会員の人で牧場に行かれたことのない方は、是非時間を見つけて行くことをお勧めします。真歌トレーニングパークで、毎回九鬼さんが「どの馬を見に来られたんですか?」と聞いて、対応してくれるのは最高の一口馬主としての体験と感じます。必ず一番最初に、車に乗ってても馬に乗ってても一番偉いあの人が声をかけてくれるんですよ。
あー、なんかずいぶんオレオレ言ってるエントリ書いてしまったよ。
私塾のすすめ
- 作者: 齋藤孝梅田望夫
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人を二人並べて議論させてみると、違うところと同じところという観点で整理できてキャラが立つ。言ってることが新しい訳じゃないんだけど、並べてみるだけですうっと入ってくるところや明確にできたところが結構あった。
その立ち位置の違いについては書かないけど、ほかに印象に残ったところを。
P23
梅田さんの言葉でいう「存在のありよう」に関して、自分がその人に似ているかどうか、「あこがれるかどうか」が重要だと思っています。
「存在のありよう」に惹かれると言うことは、能力やスケール感とは別のものですよね。
P46
何かに対する強烈な「あこがれ」を体現し、猛烈な勢いで学び続けている先生が身近にいれば、その「あこがれ」に感化される。
今回印象に残ったのが「あこがれ」。にたところで「志向性」という言葉も登場した。「オレはこれが良いと思ってんだよね」「こいつはスゲエよ」的なこと。でも、あこがれっていうのは理屈ではなくて、"feel"であるところにパワーの源がある。理屈は上位レイヤーとして、言語として共有するために会話で登場するけれど、人と共有して意味があったり、人を突き動かすものはやっぱ理屈じゃなくて低レイヤーな感情。
そしてそれに裏付けられたことでないと、やっていけなくなるんじゃないか、という梅田もちおの主張。
P145
僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境の中で、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。
志向性っていっても、かなりメタな部分でその志向性をとらえないといけないと思う。具体的な作業とか仕事に志向性があると思ってしまうと、無理が出るし絶望につながる。自分が本当に喜びを感じるのは、その作業の結果に何が起こるからなのかもしれない。
「自分のやりたいことはこんなことじゃなーい!」ってなるのって、実は「やること」じゃなくて「やった結果、何がどうなること」っていう一つ二つ上の階層に志向性があることを見逃しがちだからなんじゃないかと思う。そこは考えないと、ほとんどの人は「好きを貫」けないし、あこがれにともなうパワーを発揮できないし、サバイバルもできない。「好きを貫け」っていうのも、そのレベルで理解されないというリスクがあって諸刃の剣のような気がしたです。