ワルボロ


神山さんにずいぶん前に借りたままになっていた「ワルボロ」を週末にまたざーっと再読してみた。


ワルボロ

ワルボロ

正直に書くけど、自分はこの本の内容の感想を文章にすることはできないと思う。一回目に読んだときも、二回目もまるで内容が分かってないと思う。

昭和50年代の中学生、立川/三多摩地区、不良、ヤクザ、喧嘩といった文脈を一つも体では分かっていない。多分、もーっともっと根元の部分では共通するところがないとは思わないけど、「ある」と語れるほどのレベルでは到底体感できてない。

自分も中学生のとき、不良と呼ばれてみんなに恐れられていたクラスメイトがいたけれど、当時相当に純粋だった自分は煙草を吸ってボンタンを履いてナイフをチャカチャカさせていた彼らと何の前提も違和感もなく普通に話しかけていた。多分優等生的にみられていた自分が相当なワルとみられていた彼らと会話しているのは、教師やほかのクラスメイト、また彼ら自身も相当な違和感があったように思う。全然そんなこと気にしなかったけど。つまり、当時も自分たちと彼らに何が違うかを意識したことはなかったし、今でも多分あまり理解していないからそれほどの意識もしていない。要するに理解できてないのだと思う。

神山さんからは本屋のカバーがついたままで借りていたので気づかなかったが、今ようやく本の帯にある写真を見た。話の内容は本当にリアリティのない書き方をしているのに、その極端に飾らない素直な書き方が強烈なリアリティを出していた文章とその帯の写真を合わせて見ると、今の40代の人のバックグラウンドがほーんのちょっとだけ理解できるような気がした。気がしただけだと思うけど。

映画にもなったみたいだけど、少なくとも本よりは飾っていてリアリティがないだろうから別にみることもないか。

来週の府中で、「天和をつくれ」と一緒にお返しします>神山さん