ラチの内と外

僕は小学生の頃、自分のことをとても短気な人間だと認識していて、そういう自分がとても嫌いだった。だから、なにを言われようとされようと、すぐに反応しないようにといつも考えていた。高校生の頃、競馬とか麻雀に馬鹿みたいにハマっていて、勝てるようになりたいと心から思っていた。そのためには一つ一つの現象にアツくなってはダメだということに気がついて、感情をコントロールできる範囲内でとどめておこうといつも考えていた。

だからか、僕は冷静だとか冷たいとかクールとか言われることがたまにある。今日、上司に、「評論家みたいにはならないでくれよな」と言われた(今はまだそうなってはいないと思ってくれていると思う)。

でも、きっとそうはならないし、そんなにクールでもないと思う。ラチの中にいる人間がクールなんかではいられない。馬券を買ったり、馬に出資するというのは、ラチの外にいる人間が中に入るということで、その時の僕がどんな態度を取っているかというと、冷静だとは思わない。ラチの中にいて、感情に対してどう対応するかが問題だった。ラチの外にいよう、とは思わなかった。

ラチって言うのは競馬場では物理的に見えるし、競輪場では金網があるけれど、ここでいうのはもっと概念的なものだ。そして、僕はそのラチの外には居続けられないと思うし、中にいたいと思う。だから馬券も買ったし、馬も買った。馬券も買わず、馬にも出資せず、感情的にのめりこみもせず、ただ、ああディープインパクトが勝ったねと言いつづけるだけというのは到底できない。

本当は埒の内側にいるべきところで、そうなっていない自分を見かけたらご一報ください。どうあるべきかを考えて対応します。